ユビキタスの街角

Monday, August 22, 2016

宝クジのシミュレーション

宝クジの期待値が低いことはよく知られている。「633回年末ジャンボ宝クジ」の資料から計算すると、300円のクジに対して当選金額の期待値は150円ぐらいにしかならないので、宝クジを買うことは激しく損な行為であることは間違いない。


ところが並んでまで宝クジを買う人は沢山いる。得する可能性が著しく低いのに宝クジを買うというのは、そこになんらかの楽しさがあるからだろう。

ジャンボ宝クジを100枚(3万円)買うシミュレーションをしてみると以下のようなことがわかる。

  • 大体数千円ぐらいは当たる (2万円以上損するわけだがゼロになるわけではない)
  • 100回に一回ぐらいは利益が出る
つまり、3万円買っても2万円以上損することがほぼ間違いないのだが、4億円当選を期待するという楽しみがあるし、タマには儲かることがあるし、どれだけ当たっているかを調べる楽しみもあるので、レジャーのような楽しみ方をされているのかもしれない。ギャンブルというよりエンターテインメントなのだろう。

課金ゲームのように、全く儲かる可能性がなくても喜んで金を払う人が沢山いるのだから、滅茶苦茶に分が悪いギャンブルであってもうまく面白さを用意することができれば参加者を集められるということなのだろう。当選金をどれぐらいにするかが大きなノウハウなのだろうか。

Sunday, December 16, 2012

階層型ファイルシステムの憂鬱

Unixが普及したためか、ファイルは階層的に管理するものだという常識が浸透しており、現在はパソコンでもスマホでもファイルは階層的に管理するのがあたりまえになっている。階層的ファイル管理は確かに便利なものだが誰もが使いこなせるものではない。階層化が自然なもの(住所など)や分類の専門家がいるところ(図書館など)ではデータを階層的に管理するのが良いかもしれないが、パソコン上の雑多なデータを階層的に管理することは普通の人には無理である。「1月の会議でA社に貰ったBプロジェクトの資料」のような文書を入手したとき、「1月」のフォルダに入れるべきなのか「A社」のフォルダに入れるべきなのか「Bプロジェクト」のフォルダに入れるべきなのか判断に苦しむし、そもそもファイル名をどうすればいいのかわからない。新しいデータが来るたびにこのように悩むのは全く理不尽であり、私の場合はすべてデスクトップ上に置いてしまうのでデスクトップがぐちゃぐちゃになっている。




これを解決するのは簡単で、階層型ファイルシステムなど使わずにデータを管理すればよい。たとえば、データはすべてどこかのレポジトリにアップしてタグをつけて管理すれば良い。上の例の場合、データに「1月」「A社」「Bプロジェクト」というタグをつけておけば後から簡単に検索することができるし、他のデータに同じタグがついていれば関連データを連想的に検索することができるのでテキスト検索しなくても関連情報を簡単に利用することができる。
こういうことは自明だと思われるのだが、「デキるビジネスマンは現行の階層的ファイルシステムを使いこなす」みたいな常識があるのかもしれない。階層型ファイルシステムを使わずにあらゆる個人的データをうまく管理する方法を試してみたいものである。

Thursday, September 20, 2012

マナーについて

山で飲んだジュースの缶は埋めて帰るのがマナーと思われてた時代があるらしい。現代人ならそんな馬鹿な? と思うところだが、昔から山登りしてた人に聞いてみたところ、金属缶などは埋めるのもアリと思われていたのは本当らしい。

汽車で食べた弁当などのゴミは椅子の下に置いておくのがマナーだと最近まで思われていたそうである。東京出身の谷崎潤一郎が阪急電車に乗ったとき、車内で小便させる奴がいるのを見て度肝を抜かれたという話がある。それがマナーだったとは思えないが、許される雰囲気はあったのかもしれない。かようにマナーとは時代や場所によって相当変わるものらしい。

マナー云々の話が出るのは人が沢山いる状況だけである。誰もいない場所ではマナーなど不要であり、タバコを吸おうがゴミを捨てようがベビーカーを使おうが文句を言われることはない。マナーというのは混雑度のような周囲の状況とか時代の空気とかによって大きく変化するものであり、これがマナーだ! と声高に主張するのは全く無意味なことだといえる。

つまり、容易に「マナー」などと口にしないことがマナーだと言えるだろう。

Friday, October 07, 2011

Steve Jobsとの面接

Jobsが亡くなってしまって大変残念であるがAppleは引き続き頑張ってほしいものである。

Jobs氏と直接話したのは2006年の面接のときだけなのだが、 その時のメモを書いてみる。 iPhoneに関する情報が全く外部に出てなかったときの話である。

日時
 2006/5/4
参加者
 J: Steve Jobs
 F: Scott Forstall (iPhone開発責任者)
 M: 私
話の流れ
ジョブズ登場! 報道とかで見るの同じ印象。調子が良くてスマートな感じ。

 J: 「やぁトシ(握手)! 遅れてゴメン。滅茶苦茶面白いプロジェクトの打合せをしててネ。」
 J: 「中身は言えないけど、Mac、iPodの次の柱となる大きなプロジェクトなんだ。」
 J: 「君なら一瞬でも見たらその強烈さを理解すると思うョ」
 J: 「日本語の入力とかは結構鍵になるんだ。でもこれまでのより格段によくなるんだけどね」
 J: 「で、インターネットを全部調べたら、君が新しいプロジェクトに最適任だということがわかったんだョ」
 J: 「日本よりこっちの方が全然環境良いしネ。あ、もちろん日本の状況は知ってるョ」
 J: 「てなわけだから来るよね? 家族はいるのね? 家族にとってもこちらは良いよネ」
 J: 「じゃ何か質問ある?」

という感じで一気に押し切られる。

 M: 「入力と検索を大統合したデスクトップを作るみたいなことを考えてるんですけど...」
 J: 「今度のプロジェクトはPCとは全然違うんだョ!」 (提案終了)
 M: 「ある会社との契約仕事が継続中なんですケド」
 J: 「へー。仕事の何割ぐらいそれにあててるの?」
 M: 「30-40%ぐらいすかね」
 J: 「じゃぁその時間はそちらの仕事をすることにしてもいいョ。ウチはフレキシブルだからネ」
 M: 「私との個人契約だったらそれでもいいんだけど組織の契約なんですが」
 J: 「いずれにせよウチはフレキシブルだからっ」
 M: 「はぃ、調べてみます...」
 M: 「日本で働くオプションって無いんですか?」
 J: 「絶対なし。こちらで一丸となってやることにしてるんだ。」
 M: 「すぐ移籍が無理とすると、どれぐらいなら待てるんですかネ?」
 J: 「2〜3ヶ月だったら大丈夫かな。半年かかるなら他の人をあたるしかないョ」

情報があまりに少ない! ジョブズがウキウキしてるのは確かなのだが何が何やら。 聞いた話によるとNeXTを立ち上げたときもこのように 何も情報を出さないまま情熱だけ語って人集めしたらしい。

ジョブズ退席

 J: 「じゃぁね! 正しい決定するのを待ってるからネ!」

Forstall氏に質問

 M: 「新しい柱とか言ってますけど、柱は何本ぐらいあるんですか?」
 F: 「Mac、iPod、と今度のやつだけだョ」
 M: 「結構沢山の人間でやろうとしてる?」
 F: 「そのとおり。全部入れるとかなりの数に。」
 M: 「うーむ...」

Wednesday, September 21, 2011

算数列車

この前北京に行ったとき、北京北駅から万里の長城(八達嶺)まで列車で行ってみたのだが、 乗務員ぽいオバチャンが突然プラスチックトレイに「68×48」みたいな式を書いて それを高速に暗算する方法を説明しはじめた。 暇な乗客を退屈させないための余興か何かかと思ったらそうではなくて、 暗算でこの手の計算を行なう技術を解説した本を売るという商売であった。 なんで列車の中でそんな商売をするのだろう...
ちなみに北京北駅から万里の長城までは1時間10分の快適な旅で、 値段は片道たったの6元(80円ぐらい)であった。 バスツアーとかタクシーとかより気楽だし安いのでおすすめである。

Sunday, June 05, 2011

ライフログ

古いアイデアを復活させようとして昔の日記を読んでいたら 残念な話を沢山思い出して気分が鬱になった。
自分の行動すべてを記録する「ライフログ」を 提唱している人がいるが、 嫌な体験を簡単に思い出せるといろいろ不都合があるだろう。 ライフログ提唱者もこういう問題点については重々認識しているのだが、 利点の方が多いのだから我慢すれば良いと考えているようである。 しかし本当に嫌な記憶は完全に忘れてしまう方が良いということは自明に思われる。 嫌なことを思い出しそうになったらすかさず別のことを考えるといった 「忘れる技術」が重要だと私は思っているし、 大抵の人は嫌なことを思い出すのはまっぴらだと思っているだろうから、 単純なライフログが流行することはあまり想像できない。

残念な日記などについては「残念タグ」をつけておき、 とても元気なときだけ閲覧できるようにしておくといいかもしれない。 自分の気分や居場所などによって計算機の挙動を簡単に変えられるようになれば 状況も変わるかもしれないけれど。

Thursday, May 05, 2011

メールとURL

最近はあらゆる情報にURLがついている。 製品にも本にも日記にもレシピにも場所にも人間にもURLがついており、 あらゆる情報へのポインタがURLで表現できる時代になってきたといえる。 ところが何故かメールだけにはURLがついていない
メールは個人的なものだから当然だと思われているかもしれないが、 考えてみると不便な話である。 会議やイベントの連絡がメールで送られてきたとき、その情報を表現するURLは存在しないので、 別の場所からその情報にリンクを張ることができない。 面白い情報をメールで貰ったとき、それを他人に伝えようとするとメールの転送が必要で、 そのデータにブラウザからアクセスできないのは不思議な話である。 あらゆる情報の中でメール情報だけが別の世界にいるかのようである
Wikiは便利だが、メールで受け取ったデータにリンクを張ることができないのが不便である。 メールで貰ったイベントの案内をWikiに書きたいと思ったとき、 メールにリンクを張ることはできないのでイベントのページを捜すことになるが、 適当なWebページが有るとは限らない。 会議の連絡や宴会の連絡がメールで来るのは日常茶飯事であるが、 会議のページや宴会のページなど無いのでリンクを張ることは不可能である。
これらの情報を参照する場合、メールソフトを利用するか、 メールの内容を別の場所にコピペしておいて参照するのが普通であろう。 また、こういった不具合を解決するため、 メールも文書も同じように扱えることを売りにしたソフトが色々開発されているが、 メールが別世界にいるという状況が変わるわけではない。 文書などのデータはそのまま普通にWebで公開できるのに対し、 メールを公開するにはコピペなどのデータ変換が必要になる。
そもそもメールが同じ世界に存在して直接リンクを張ることができるのならば こういう面倒は不要なはずである。 メールだけが別世界にいることが問題であり、 メールを含むあらゆる情報がひとつの世界に存在してURLで一括管理できれば メール情報の扱いの面倒さは解消するはずである。
メールが開発されたのはWebが開発されるよりもずっと前のことなので、 別世界の話なのは仕方がなかったかもしれないが、 Webが発明されて20年近くたっている現在、 いつまでもメールを別世界のまま放っておくわけにはいかないだろう 。 なんらかの方法での融合が必要だと思われる。
...というわけで、メールの世界をWebの世界と融合させるために Gyammというシステムを開発した。 GyammはQuickMLGyazoと似たテイストのシステムで、 xxxx@Gyamm.com にメールを送るとそれがWebに公開される「だけ」のシステムである。 機能は単純だが、上に書いたような問題を解決する可能性を持っているうえに 普通に便利なシステムなので、ぜひ使ってみていただきたい。